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【長編小説】君の闇、光へと通ず ~現代異能探偵青春譚~

【第009話】小さな一歩

「いや~、よく似合ってるじゃない」

「ふっ、馬子にも衣装とはよくいったものだ」

久川さんと雪峰さんは、込み上げる笑いを必死にこらえている。

自分は今、店員の制服を着せられ、二人の視線に晒されていた。

「かおりにも見せてあげよ~っと」

空かさずスマホを取り出し、パシャリ。

(……どうしてこんなことに)

遡ること2日前

「バイト……ですか?」

「そっ」

いつものカウンター席でココアをすする。

「先月、この近くに大きなビルが建ったの知ってる?」

「ええ、遠くからでも見えてました」

「それでね、ありがたいことにお客さんが増えたのよ。この辺りって意外とお店が少ないでしょ?」

「そうですね」

「そんなこんなで、最近は二人じゃ回しきれなくて……困ってるのよ」

珍しく、久川さんが切実な顔をしていた。
どうやら演技ではないらしい。

「一先ず、冬休み中だけでいいから、お願い!」

そう言って、自分に手を合わせてくる。

「う~ん、自分はいいですけど。母さんに聞いてみないと……」

「それは大丈夫!私に任せておきなさい!」

そう言うや否や、彼女はスマホを取り出し、電話をかけ始めた。
しばらくの沈黙の後、どうやら相手につながったようだ。

「もしもし、かおり?」

「え~と、真也くん、借りていいかしら?」

「うんうん、そうそう、バイトバイト」

「えっ!いいの~」

「分かった!じゃあ、伝えとくね~」

「は~い、また電話する~」

あっけなく通話が終わる。
どうやら、当事者に一切、意思を確認することなく、運命は決まったようだ。

「いいってさ!」

「そんなことってあります?」

久川さんは得意げに微笑むが、自分は苦笑いを返すしかなかった。

「じゃあ、明後日からお願い。それまでに準備しておくから。」

(……準備?)

そして、現在に至るというわけだ。

(“準備”とは制服のことだったのか……)

「この店の女性陣にかかれば、すべては掌の上ってわけだな」

雪峰さんが遠い目をする。

「彼女たちの方が一枚も二枚も上手だ。あきらめろ」

肩を軽く叩かれる。

「よし!送信完了ッと!午後も張り切っていくわよ!」

「イエス・サ~」

「お願いします」

久川さんの掛け声に、それぞれが応じる。

「じゃあ、哲。真也くんにフロア対応を一通り教えてあげて」

「了解だ。まずは、やる事と流れの確認だな」

「分かりました。よろしくお願いします」

「今日は最低限だ。細かいことは明日以降にやる。分からないことは俺か藍にすぐ聞け。分からないことは恥ではない」

「はい」

「大丈夫よ。少しずつでいいから」

さりげない励ましに、胸の奥が少し軽くなる。
不安と期待が入り混じる中、Irisでの初バイトが始まった。

「ありがとうございました」

最後のお客を三人で見送る。
静かな店内に、エスプレッソの香りと夜の冷気が混じる。

「ふぅ~、今日も無事に乗り切ったわね」

背伸びをしながら久川さんがこちらを見る。

「なかなか良かったんじゃない? 丁寧に対応しようというのがちゃんと伝わってきたわ」

「ああ、初日としては上々だろう。少なくとも違和感はなかった」

「ありがとうございます」

褒められると、やっぱり照れくさい。

「どこで覚えたの? バイト、初めてなんでしょ?」

「はい。でも、二週間以上、久川さんの仕事を見てきましたから」

二人が目を合わせ、同時にこちらへ視線を向ける。

「これは……見込みがありそうね」

「そうだな」

(な、なんだその含みのある言い方……)

久川さんがカウンター内のノートPCに視線を落とす。

「それにしても、最近、軽食の注文が増えたわね」

「確かに」

「オフィスビルの影響か、スーツ姿のお客さんも多いわ」

「そうだな」

「食事メニュー、見直した方がいいかもね」

彼女は唇に指先を当てて考え込む。
女性客の割合は依然として多いが、確かに、スーツ姿の客もちらほら見かける。

「どうして見直すんですか?」

素朴な疑問を口にすると、久川さんは迷いなく答えた。

「お客さんの層が変わってきているからよ。このお店自体のテーマがあるとはいえ、それを壊さない範囲でニーズには応えていく必要があるわ」

「なるほど」

「ただ、無暗に変えればいいというものでもないわ。お店の雰囲気にどう影響するかも考えなければならない。このお店は、雰囲気を気に入って来てくれているお客さんが多いから」

「そうですね……」

(この店の雰囲気に合うメニューか……)

「……オムハヤシとか?」

「オムハヤシ??」

「ごめんなさい。ただ、パッと思い浮かんだだけで……」

「いや、アリかもしれない!」

「えっ?」

「哲、先代の頃、オムハヤシって、確かメニューにあったわよね?」

「そういえば、そんなものもあったな」

「これだったら、店の雰囲気も壊さないし、復刻っていうネタにもなる。……ねえ、どうして、オムハヤシが出てきたわけ?」

久川さんはまっすぐな視線を自分へ向けてきた。

「う~ん……母さんがたまに作ってくれるんですよね。自分は、結構、それが好きで」

「なるほど~、かおりかぁ」

彼女は髪をさらりと払った。

「今となってはレシピも分からないから、彼女に聞くのが良さそうね」

「だな」

「そうなれば善は急げ!さっそく招集することにするわ!」

「えっ!?」

雪峰さんと同時に声が出た。
胸の奥に、説明しづらいざわつきが広がる。

(母さんが来る……?)

来てほしいような、来てほしくないような、胸の中で相反する感情が渦を巻く。
それがいったい何を予感しているのか、自分でも分からなかった。

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