【その014】人を信じるとは?
2026/09/19
現代社会は色々なことが起きる。
起きていることが多いのか?
流通している情報が多いのか?
自分の目を疑うこともある。
自分の耳を疑うこともある。
目を背けたくなることもある。
人間が怖いと思うこともある。
怖いと感じられる自分が怖いと思うこともある。
感じられるということは、自分の中にもその狂気があるということではないか?
否定しきることはできない。
万事でそれを抑えきる自信もない。
その狂気は自分の中にも存在している。
そんな時、自分もまた、弱い人間の一人であることを思い知らされる。
自分の中にあるからこそ恐れる。
それは本物の恐怖である。
確かに感じる。
確かにある。
でも、翻弄されているわけではない。
常に出てくるわけでもない。
要は、状況だ。
状況が整わなければ狂気が現れることはない。
その状況に自分が陥らなければいい。
自分が冷静な自分で在れる道はどこか?
自分で必死に考える。
自分で必死に選択肢を用意する。
自分で考え抜いて選択肢を選ぶ。
自分の納得と安心が得られる道を必死に模索するのだ。
この自分自身の納得と安心。
これを自分は何よりも求めている。
私は、自分自身が納得と安心できる決断と行動ができた時、自分自身を少し信じることができる気がする。
信頼を築くことは自分自身であっても容易ではない。
大小を問わず、自分自身が納得と安心できる道を模索し、決断と行動を積み重ねていく。
この積み重ねが自分自身への信頼へと繋がっていく。
これは、自分自身を窮地に陥らせず、自分自身の納得と安心を得られる道を掴み取れるという信頼である。
この自分自身への信頼こそが自信である。
自分を信じられるという状態である。
そして、自分を信じられる人は他人を信じることもできる。
なぜ、他人も信じることができるのか?
自分自身の納得と安心を得る方法を知っているからだ。
他人に対しても、それが何であるのか?を考えることができるからだ。
それを踏まえて、他人と向き合い、対応をしていく。
そこに過度な期待を抱いていない。
他人もまた一人の人間であることを知っている。
逆説なのだ。
他人へ抱く想いや感情は、実は、自分に対して向いているものなのだ。
他人の前に、まず、自分に対して、その想いや感情に応えよう。
それができるようになった時、自分自身から信頼を得られるようになるし、他人からも信頼を得られるようになるだろう。
