アルファエイトスタジオのテーマ

Novels

【長編小説】君の闇、光へと通ず ~現代異能探偵青春譚~

【第016話】ねこの細道

しゃがみ込みながら尋ねた。

「君はどこから来たんだい?」

黒猫は何を言われてるか分からないという感じで首を傾げる。

「ごめん、そうだよね」

猫に問いかけたところで返事があるわけない。
そんなことは分かってるんだが――

「あのさ、“自然と溶け込む”って、どんな感じだと思う?」

黒猫は大きな目を細め何かを考えるような素振りを見せた。
そして、次の瞬間――
ぱたんと倒れ込み、手足を投げ出して日向ぼっこを始めた。

柔らかな日差しに包まれ、表情はとろけるように穏やかだ。
まるで温泉に浸かった人間のような、見事な脱力と安らぎ。

(……なるほど、そういうことか)

自分は“どうすれば溶け込めるか”を、ずっと“考えて”いた。

でも、違う。
“考える”こと自体が、“溶け込めない”原因だったんだ。

脱力して、無心で、ただそこにいる。
それはまるで、世界に身を委ねるように。

「ありがとう。何か分かった気がする」

黒猫はその体勢のまま、尻尾をふわりと一振りした。

(“どういたしまして”ということかな?)

言葉は通じない。
それでも、なぜか、打てば響くような気がする。

――猫から教わることになるなんて、世の中分からないものだ。

それからというもの、この小さなお客さんとの交流が始まった。

Irisの屋上に行くと、“彼女”もどこからともなく現れる。
確証はないが、漂う気品から、何となくそう呼んでいる。

自分が一方的に語りかけ、彼女は静かに聞いている。
ときおり、尻尾の動きやまばたきで何かを伝えようとする。

そんな気がするから、自分も考える。
そして、考えたことをまた伝える。

“そうだよ”と頷かれている気がするときもあれば、“違うよ”とたしなめられている気がするときもある。
そんなやり取りを繰り返すうちに、不思議と通じ合っているような感覚が芽生えた。

言葉なんて要らない。
ただ、心がふと重なる瞬間がある。
その心地よさが、いつの間にか自分の日々の憩いになっていた。

あれから2週間。

試行錯誤の末、やっと心界を歩けるようになった。
まだ、足元はおぼつかないが、自分でも一歩前進できた実感があった。

彼女と過ごす時間が、その感覚を育ててくれたのかもしれない。
今度、ミルクでもご馳走しよう。

バイトの休憩時間。
今日も屋上へとやってきた。
しばらく、景色を眺めていると、黒猫もそっと現れる。

いつものように一定の距離を保ち、こちらを見つめている。
近づきすぎると、すぐに警戒の唸り声をあげる。

この間合いが、彼女なりの“安心できる距離”なのだろう。
自分もそれを尊重し、その境界を越えないようにしている。

屋上の扉が開く音がした。
久川さんだ。

「今日もここにいたのね。寒くないの?」

「寒いですけど、コート着てますから」

「そう。……あら?」

久川さんの視線が黒猫に向く。
黒猫は気まずそうに顔をそらした。

「かわいいお客さんね」

そう言って近づいていく。
黒猫は慌てて後ずさるが、まるで見えない壁に阻まれたように、足が止まった。

久川さんが両手を伸ばし、そっと抱き上げる。
黒猫は諦めたように手足をだらりと伸ばした。

久川さんは黒猫の瞳をじっと見つめ

「あなた……」

何かを言いかけた。
しばしの沈黙のあと

「いい毛並みしてるわね」

そう言うと、微笑みながら腕の中に抱き直す。

黒猫は“助けて”とでも言いたげに、こちらを見た。
自分は両手を広げて、“無理だ”とジェスチャーで返す。

(さっき、一瞬、影がざわめいたのは気のせいか?)

黒猫の様子とは裏腹に、久川さんは満足げだ。

「そうそう、一つ相談があるんだけど」

「何ですか?」

「バイトを増員しようと思ってるんだけど、どう思う?」

「増員、ですか? ずいぶん急ですね? 三人でも十分回ってますけど……」

素直な疑問をぶつける。

「仕事が入ったのよ。哲也はしばらくそっちにかかり切りになるから、もう一つの保険と一緒にかけときたくてね」

「なるほど。久川さんは?」

「たぶん出番はないかな。今回は、あいつへの指名依頼だから」

へぇ、そんな依頼もあるのか。

「了解です。もう一つの保険も気になりますけど」

「ふふ、それはお楽しみね」

久川さんは得意げな笑みを浮かべた。
ああ、何となく分かった気がする。

「それじゃ、この子にミルクをご馳走しなきゃね」

そう言って、黒猫を抱いたまま建物の中へと戻っていった。

(猫さん、大丈夫かな?)

自分も慌てて、あとを追う。

止まっていた歯車が静かに回り始めた。

TOP
error: 選択できません