【その7】うつとは? ~世界の闇、うつの正体~
2025/10/01
うつとはいったい何だろうか?
少なくとも、良いイメージを持っている人はいないだろう。
そして、この症状に苦しんでいる人もたくさんいると思う。
うつ病と診断されずとも、それに近い経験は、誰しもがあると思う。
かくいう私も、数年前にうつ病と診断された。
診断が下された時のショックは、今も忘れない。
私がうつ病になるはずがないと、そう思っている人間だった。
ただ、今から振り返ると、あれは紛れもなく、うつ病だった。
当時の私には、超巨大軍事要塞級の不安が常に付きまとっていた。
どんな些細な不安でも、超巨大軍事要塞級になってしまうのだ。
さらに、体調面にも深刻な影響を与えていた。
慢性的な発熱と胃痛、嘔吐。
食べ物が喉を通らず、拒食気味になり、身体はみるみる痩せていった。
そして、遂には、夜も眠れなくなった。
あらゆることに怯え、何もかもが怖かった。
それは、例え、気づかって手を差し伸べてくれる人でさえも…。
うつ病は精神の病などと、一言で済ませられるようなものではない。
体調はもちろんのこと、生活に与えるインパクトも甚大だ。
今まで、普通にできていたことができない。
これもまた、不安にさらなる拍車をかける。
そこにあるのは、ただひたすらに絶望だ。
正直、その絶望を言葉で表現することはできない。
前置きが長くなってしまったが、これが、うつ病の一つの実例である。
私は、決して、同情をしてほしいわけではない。
それは、うつ病に苦しむ誰しもが願うことだと思う。
ただ、実態を知った上でないと、今回の問いを考えることができない。
うつとは何か?
何が人をうつにしてしまうのか?
なぜ、うつになってしまうのか?
これこそが、今回の本題である。
これまでの回で、うつと向き合うために、必要となる要素を考えてきた。
それらが、うつの正体を見つけるための手がかりとなる。
特に、「不安」という部分。
不安とうつは、密接に関わっている。
その観点で、ここまでは、不安を生むロジックをメインで考えてきた。
初回で「不安は自分自身への警告機能」という結論に至った。
では、ここでの警告は、自分自身に対して、何を警告しようとしているのか?
不安が大きくなるということは、それだけ重大な何かを自分自身へ知らせようとしているのではないか?
うつを、状態だけで説明するならば、大きくなり過ぎた不安により、心身ともに身動きが取れなくなった状態といえる。
この「身動きが取れなくなった」の捉え方を変えてみると、「心身ともにそうすることを拒絶した」とも見ることができる。
つまり、潜在的に「自分にそうしてほしくない」ということなのだ。
では、「自分にそうしてほしくない」のは、なぜなのか?
もう、耐えられないのだ、その状況に。
そして、「その状況」はどこにあるのか?
前回、「世界とは、自身の認知情報をもとに構成される、内面環境である。」と定義した。
つまり、その状況は、自分が持っている世界の中にある。
自分自身が耐えられなくなる状況とは、いったい何なのか?
ここでの、自分自身というのは、自然体の自分であり、素の自分である。
素の自分を苦しめる存在とは何か?
繰り返しのおさらいになるが、世界を形成しているのは自分の持っている情報であり、不安の原因も自分の中にある。
つまり、素の自分を苦しめる存在もまた、自分の外には存在し得ない。
では、その存在は自分の中にある、どんな存在なのか?
それは、世間体として演じ切りたい理想の自分である。
理想があることは、決して、悪いことではない。
理想や目標があるからこそ、人間はそれに向かって試行錯誤と努力を重ねる。
ただし、その理想とするものが、あまりにも素の自分とかけ離れているものだったとしたら?
素の自分は苦しんでいるのに、プライドや利益だけで、その理想が形成されているとしたら?
そんな理想であったとしたならば、あなたは苦しくはないだろうか?
プライドや利益もまた、人としての願望ではあると思う。
ただ、それは、他人との比較の中で生まれた願望であることを忘れてはならない。
これは、世間体という名の仮面に過ぎない。
素の自分が望むことに、他人は介在し得ない。
他人の存在を消して、それでも、やりたいこと。
それこそが、素の自分の望みである。
しかし、私たちは、人間である以上、社会の中で生きていかなければならない。
人間関係を円滑にしていくためには、インターフェースとなる仮面も、ある程度は必要となる。
では、どうしたらよいか?
まずは、素の自分を知ることだ。
素の自分を知ることこそが、すべての道しるべになる。
理性や世界の回で、真実にたどり着く、思考の深め方を書いた。
これは、事象の真実にたどり着くプロセスであると同時に、素の自分を知っていくプロセスでもある。
この過程においては、感情と理性の間を行ったり来たりする。
そして、感情と理性の間の領域にある真実にたどり着く。
見えていなかった素の自分もまた、感情と理性の間の領域にいる。
そこで、素の自分に出会えたことは、今後のあなたの人生を大きく変えることになるだろう。
その上で、素の自分と方向性を合わせ、程度を調整できたのならば、素の自分と理想の自分との軋轢はかなり減る。
これこそが、うつを緩和する手段である。
「うつは、素の自分と理想の自分にギャップが大きくある状態である。」
理想の自分がまとった仮面や鎧により、身動きが取れなくなった状態ともいえる。
身を守るつもりで身につけたものが、自分を苦しめ、生命の危機にまで陥らせるとは、本末転倒である。
素の自分と理想の自分の方向性が合っていれば、行動に迷いがない。
その行動は、純粋そのものである。
それは、何よりも、あなたらしく輝いている。
そして、そんなあなたは魅力的だ。
うつや不安は、素の自分を見失った時に起こるものだ。
私も、今でこそ、薬に頼らずとも、日常生活を送れているが、うつと不安は常にそばにいる。
完治したというよりは、うつや不安との付き合い方を覚えた、という方が適切かもしれない。
うつのケアにおいて、重要なことは、うつの気配がない元気な時の行動だ。
うつ状態に入るきっかけは、元気な時に何かをやり過ぎてしまったことによる。
元気な時こそ、慎重に、そして、不安と小まめに向き合うということが大切である。
体調を整え、素の自分を見失わなければ、うつにはならない。
これは、私自身が、この数年で実感していることでもある。
うつの苦しみは、人それぞれで、その人だけのものである。
ただ、自分自身の状態を、このように分析できたのならば、対処に向かうことができる。
これが、一つのきっかけになってくれればと思う。
次回は、「生きる」ということについて考えていこうと思う。
