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【長編小説】君の闇、光へと通ず ~現代異能探偵青春譚~

【第012話】明日への扉

「言いたいことはたくさんある。……でも」

溢れそうになる涙を必死にこらえる。

「俺は母さんの子だよ。この気持ちが分からないわけないじゃん」

「真也……」

自然となった笑顔から涙が零れ出る。
母の目もまた、潤んで揺れている。

「それに、俺はそんなにやわじゃない。母さんだって知ってるでしょ?」

「……ええ、そうね」

穏やかに微笑む母の目から一粒の雫が静かに流れ落ちた。
その瞬間、久川さんが母をギュッと抱きしめる。

押し殺された感情たちが雫となってテーブルを濡らす。
俺は母が涙を流す姿を生まれて初めて目撃した。

「落ち着いた?」

「……うん」

久川さんの問いかけに、母は目をこすりながら答える。
抱擁を解き、深く息を吐き出すと、少しずつ顔に光が戻ってきた。

目が合い、互いに小さな微笑みを交わすと、母も静かにうなずき返してくれた。

「良かったわね」

久川さんの声は、まるで春先の風のように柔らかい。

「ああ……本当に」

母は憑き物が落ちたかのように穏やかな顔でつぶやいた。

「哲也、藍、ありがとう」

「お互い様だろ」

「そうね」

三人の間に流れる空気も、心なしか柔らかくなったようだ。

「それに、お礼を言うのは私たちじゃないでしょ?」

母の視線が自分の瞳をまっすぐに射抜く。

「真也、本当にありがとう」

「何言ってるの。お礼を言わなきゃいけないのはこっちだよ」

「それでも……ありがとう」

母の声は震えていた。
自分の胸の中にも、言葉にならない想いが渦を巻いている。
何かを言わなければと思うが、静かに微笑んでうなずくことしかできなかった。

「さて!」

久川さんが手をポンと打ち、空気を切り替える。

「今日は何のために集まったんでしょう? 覚えてる?」

(そうだった。オムハヤシを復活させるのだった)

「すっかり忘れてたわ。材料はあるの?」

母も顔をほころばせながら答える。

「メッセージでもらってたものは、ちゃんと用意してあるわ」

さすが久川さん。段取りは抜群だ。

「分かった。じゃあ、レシピ帳と見比べながら進めましょう」

二人がキッチンへと消えていく。
だが、座って待っているだけでは、気持ちが落ち着かない。

(外の空気でも吸ってくるか)

辺りを見渡すと、雪峰さんの姿が見当たらない。
静かに椅子を戻し、リビングを後にした。

屋上の扉を開けた瞬間、冷たい風が頬を切った。
年末の気配を運ぶ、重く澄んだ風。

柵の方へ視線をやると、小さな火種が夜の闇を照らしていた。
隣に並ぶと、雪峰さんが煙とともに深い息を吐き出す。

風と車の音だけが二人の間を流れていく。

「……叔父さんだったんですね?」

「ああ、残念なことにな」

彼は両手を広げ、どうしようもないとでも言うように肩をすくめた。

「じゃあ、叔父さんって呼んだ方が――」

「やめろ。気色悪い」

短く吐き捨てるその調子に、思わず苦笑する。

本当に聞きたいことは別にあるのだが、喉元まで来ては折り返し、また飲み込んでしまう。

「その、大丈夫なのか?」

「大丈夫とは?」

この人の質問はいつも唐突だ。

「さっきの話のことだ」

「もう、大混乱ですよ」

柵に身を預けながら、虚空へと言葉を吐き出す。

「だろうな……」

苦笑がこぼれ、ため息が煙に混じる。

「母が来るとなった時点で、何か予感みたいなものはあったんですけどね。まさか、こんなことだったとは……」

「……」

「俺、どうしたらいいんですかね?」

柵に額を押しつける。
心の迷路に出口は見えない。

「ん~、姉さんや藍とも相談だろうな」

雪峰さんも左手で額を覆い、しばし沈黙した。

「ただ――回り道はもう終わりだ」

声には重さがあった。

「これからは、異能と正面から向き合うことになる。逃げても、背後から必ず追ってくる……これは、そういう類のものだ」

吐き出された煙が、夜空に力強い軌跡を描く。

やはり、避けては通れないということか。

でも、得体の知れない力とどう向き合えばいいのか、皆目見当もつかない。

「ん~……」

「心配するな。そのために俺たちがいる。よほどのことがない限りは、どうにかしてやる」

彼は肩をポンと叩き、煙草を缶に落とした。

「先に戻る。……そんな恰好じゃ風邪引くぞ」

背中が扉に消えるのを見届ける。

駆け抜ける夜風に、思わず身体が震えた。
そういえば、コートを忘れていた。
それだけ心が揺れてるのだろう。

ふと、空を見上げる。

澄み切った夜のキャンバスに、冬の大三角が煌々と輝いている。
赤く燃えるベテルギウス。
蒼い光を放つシリウス。
柔らかく瞬くプロキオン。

変わらぬ星々の輝き。
それはまるで、揺らぐ自分を見下ろすかのようだ。

自分を取り巻く日常は確実に変わり始めている。

その対比に、胸がざわめき、言葉にならない思いが渦を巻く。

雪峰さんも、この景色を同じように眺めていたのだろうか。

冷たく重い扉の取っ手に手をかける。
揺らぐ自分の手の熱と、変わらぬ扉の取っ手の冷たさ。
この感触が、いつもと違うように感じた――そのざわめきだけが胸に強く残った。

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